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「八代の定番観光スポット!続日本100名城にも選定!」 八代市 

八代城跡(八代城跡公園)

八代城は、元和元年(1615年)に一国一城令が出され、肥後国は熊本城と麦島城の一国二城体制が特別に認められていましたが、同5年の大地震によって、麦島城が崩壊したため、熊本城主加藤忠広(清正の子)が幕府の許可を得て、家老の加藤正方に命じ、同6〜8年にかけて球磨川河口北側の松江村に築城した平城です。
寛永9年(1632)改易となった加藤家の改易により熊本城主となった細川忠利の父忠興(三斎)が入城し、北の丸を居所として本丸に四男の立孝(立允)を居住させました。
正保2年(1645)閏5月に立孝が、続いて12月に三斎が没したため、翌3年(1646)家老松井(長岡)興長が入城し、以後は代々松井氏が在城しました。
落雷による焼失や明治維新後の取り壊しがあるも、本丸の石垣と内堀が残り、本丸跡に懐良親王をまつる八代宮が鎮座しています。
本丸内には枯山水の庭園が設けられており、現在もその一部を見ることができます。また、発掘調査で見つかった八代城時代の井戸も保存されており、八代城は、八代市の中心的な歴史公園として親しまれています。

八代の定番観光スポット!続日本100名城にも選定! 八代の定番観光スポット!続日本100名城にも選定!


開園時間 開放
料金 無料
住所 熊本県八代市松江城町7-34
駐車場 あり 20台(小型30台) 無料
お問合せ先 0965-33-4533(八代市文化振興課)
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地図情報

◎ご紹介スポット:八代城跡(八代城跡公園)


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みどころ紹介

  • 八代の定番観光スポット!続日本100名城にも選定!『八代城跡(八代城跡公園)』をご紹介!

よかとこスタッフの体験レポート

2014年「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として、古麓城跡・麦島城跡と併せて国の史跡に指定されました。


  • 八代城(やつしろじょう)は、元和(げんな)元年(1615年)に一国一城令(いっこくいちじょうれい)が出され、肥後国(ひごのくに)は熊本城(くまもとじょう)と麦島城(むぎしまじょう)の一国二城体制が特別に認(みと)められていましたが、同5年の大地震(だいじしん)によって、麦島城が崩壊(ほうかい)したため、熊本城主加藤忠広(かとうただひろ)〈清正の子〉が幕府(ばくふ)の許可(きょか)を得(え)て、家老(かろう)の加藤正方(かとうまさかた)に命(めい)じ、同6〜8年にかけて球磨川(くまがわ)河口(かこう)北側の松江村(まつえむら)に築城(ちくじょう)した平城(ひらじろ)です。


  • 寛永(かんえい)9年(1632)改易(かいえき)となった加藤家の改易により熊本城主となった細川忠利(ほそかわただとし)の父忠興(ただおき)〈三斎(さんさい)〉が入城(にゅうじょう)し、北の丸を居所(きょしょ)として本丸に四男の立孝(たつたか)〈立允〉を居住(いじゅう)させました。
    正保(しょうほう)2年(1645)閏(うるう)5月に立孝が、続いて12月に三斎が没(ぼっ)したため、翌3年(1646)家老松井(長岡)興長(おきなが)が入城し、以後は代々松井氏が在城(ざいじょう)しました。
    落雷による焼失(しょうしつ)や明治維新(いしん)後の取り壊(こわ)しがあるも、本丸の石垣(いしがき)と内堀(うちぼり)が残り、本丸跡に懐良親王をまつる八代宮が鎮座(ちんざ)しています。
    本丸内には枯山水(かれさんすい)の庭園(ていえん)が設(もう)けられており、現在もその一部を見ることができます。また、発掘調査(はっくつちょうさ)で見つかった八代城時代の井戸(いど)も保存されており、八代城は、八代市の中心的な歴史公園として親(した)しまれています。

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